2017年02月08日

埼玉県高等学校音楽祭南部地区

6〜7年前の出来事から書き出さないと、上手に説明できません。

ESP学園の講師時代、ある女性シンガーのサポートのお誘いがありまして。
それも元々鍵盤を担当していた人の代わりってことで、割と突然に。

もらったライブ資料を見ると、これまで演奏したことない曲が並んでいました。
それがミュージカルの曲たちだと気づき始めたのは、
何回かリハに入った後でした。

その中に「Wicked」というミュージカルの
「Popular」と「Defying Gravity」という曲が入っていました。
まだ本当になんとなくだったけれど、
「Defying Gravityって、なんかカッコいい」って感じていました。
ただ演奏がとっても難しくて、彼女の要求する雰囲気がなかなか出せなくて、
楽曲を心から楽しんで演奏するなんてとてもできなくて、
モヤモヤしながらリハから帰る日もありました。

あるリハの日、彼女に
「Wickedってサントラ出てるの?」と聞いたら、
「ブロードウェイのオリジナル盤と劇団四季盤があります。
 でもね、圧倒的にオリジナル盤のほうが良いの」
と教えてくれました。

それからしばらくして、オリジナル盤サントラの音源を手に入れるわけですが…
全然ピンと来ませんでした。

そのライブのステージ上で、彼女は突然、来週アメリカに留学すると発表。
寝耳に水の我々バンドメンバー… なんやそれ。

数年が経ち、
そんなライブサポートをやったなぁなんてことも
記憶から消えそうになっていた頃、
ちょうどYouTubeで
Queen & Adam Lambertのライブ映像を探していた時でした。

この映像を見てしまったのですよ。



このメロディーが、数年前の記憶を呼び覚ましました。
あの曲やん!って。
その日から、
この曲をいつか何かの機会に音にしてみたいと思うようになりました。

2016年2月8日。高等学校音楽祭に現任校が“初出場”。
候補曲が3曲ほどあって、
「Defying Gravity」も中のひとつに上げていたのですが、
別の曲(Queen「手を取り合って」)でエントリーしました。

新年度になりました。
「音楽祭出場を継続させること」
「その課題曲に早い時期から取り組むこと」
が、今年度の目標のひとつでした。

いつの頃からか、
見栄張ってあれこれやるのはやめようと、
自分が得意、少なくとも何の障害もなく力を出せる
そのフィールドで全力を出そうと、
そう考えるようになりました。

僕はPopsやRockばかりを聴いて育ってきました。
中高生はそれが普通だと思ってましたが、
最近じつは僕の方がマイノリティーなんじゃないかと感じています。
もしくは彼らは僕のような音楽の聴き方をしていないんじゃないかと。

Popsを題材にして授業で扱って、
圧倒的に足りないと感じるのは「リズム感」。
21世紀に生まれた今の子たちが、
絶対に僕たちよりもたくさんのビート音楽に囲まれているはずなのに、
Popsのリズムの取り方がわかっていない。

素晴らしい響きとアンサンブルを持った実力校の吹奏楽部が、
客に媚びてPopsを演奏した瞬間、
リズムが崩壊し、幼稚園のお遊戯みたいな演出になる。
聴いていられないです。
どうして得意分野で最後まで攻めないんだろうって思います。
更に言うならば、それで飯を食ってきた経験から言わしてもらうなら、
「Popsをナメんな」

本当に自分の気持ちを込められる曲、
絶対ほかの学校に負けないと自分で思える曲を選んで音楽祭に参加しよう、
自分の趣味を押しつけるのではなく、
取り組んだ生徒もカッコイイと思える曲、
なんだか知らないけれど音楽室を出る時に口ずさんでしまう曲。

自分の中では「Defying Gravity」しかありませんでした。

以前聴いたけれどイマイチだった音源、
オリジナル盤「Wicked」サウンドトラックと
音楽祭に出るなら日本語の歌詞でしょうと言うことで、
劇団四季盤も購入しました。

一冊だけ出ている「Wicked」のピアノ&ボーカルスコアを参考に、
劇団四季盤をベースに、
台詞やテンポチェンジの難しい部分をカットして短くし、
Kerry Ellis & Brian Mayバージョンの
たまらなくカッコいい部分を楽曲の盛り上げる部分に挿入、
我々独自の「Defying Gravity」を作りました。

この作業をしながら、日本語盤サントラの他の曲も聴くようになり、
次第にこのミュージカル作品自体に心を奪われていきました。
サントラを通して何度も聴いていると、ストーリーがだんだん見えてきて、
それによって「Defying Gravity」をより深く理解できるように
…なってきた気がしました。

でも、作品の中での楽曲の意味をきちんと知りたくて、
夏休み終盤の日曜日、
東京公演はもう終わってしまっていたので、
日帰りで札幌まで劇団四季の公演を見に行きました。
数ヶ月間、その余韻が消えませんでした。

授業では、元になった「オズの魔法使い」鑑賞から始め、
自分では、この歳まで読んだことがなかった物語も買って読みました。

音楽祭での表現の形はバンドにしようと決めました。
この楽曲を自分なりに表現するためにはその形しかないと。

埼玉県南部地区は、
オーソドックスで保守的なスタイルが多い気がしていました。
異物を混入したいとは数年前から考えていたことですが、
それには勇気が要りました。

軽音の仕事に誇りを持っているけれど、
世間の軽音(というかバンド)に対する目は未だに厳しく、
南部地区がそれを受け入れてくれる土壌なのかがわかりませんでした。

そもそも軽音部は文化部連盟に入っていないので、
音楽祭には軽音部としては参加できません。
ならば…
教科書にバンドのページもあるし、
授業で取り組んでいるその延長なら「言い訳」になるのではないか。
今年は軽音部3年生が音楽選択者に多くいて、
その中には夏の県大会で奨励賞を受賞した部員もいました。
今年じゃないと出来ない、そう感じたので、
家庭研修中という時期だけど力を貸して欲しいと、
3年生にお願いしました。
今回は彼らがいなかったら成立しませんでした。

マイクも使わず、バンドに対抗できる声が出せるのか。
普段の授業で声を出すことすらためらう生徒たちで
本当にそんなことが可能なのか。
これは本番当日まで実際に悪夢にうなされたくらいの懸案事項でした。

文化祭のクラスの様子などを巡回のふりして探りを入れ、
1年生から2クラスを選んで参加を要請しました。
昨年度のような「歌うの大好き」というクラスは無く、
選んだ彼らを信じるしかなく、凶と出ればそれは僕のミスということです。
このミュージカル・楽曲は魔女が歌うので、絶対に女子の声は必要でした。
バンドの音圧には数で対抗するしかない、
声が小さい生徒たちをどうしたら気持ちを解放させて歌わせられるか、
物理的なこと、指導目的、楽曲のレベル、いろんな難題がありました。

本番。僕はピアノ兼時々指揮をしましたが、
アクセルを踏んでも踏んでも、最後まで加速しなかったという感覚でした。
不完全燃焼感MAXで音楽祭1日を過ごし、
他校からのコメントシートと講師の先生からの講評をいただき
学校へ戻りました。

ひとりでコメントシートに目を通しました。
なぜか上から目線の手厳しいコメントが幾つかありましたが、
驚いたのは、
バンド+合唱が珍しかったのか、好意的に受け入れられたことでした。
これは全く想定外でした。
音量バランスは最後まで気にして、結局ダメだったんだけれど、
自分の学校の課題、周りがやったことのないスタイルにチャレンジしたこと、
それは無駄ではなかったと思えたので、少し救われました。

この日の講師は、
僕が今の学校で授業をするに当たって参考にさせていただいた
男子合唱を成功させるための指導DVDを出されているH先生、
以前からFacebookでも繋がっていて
先生の前で演奏するのはじつは気恥ずかしかったK先生のお二方でした。
先生方のコメントに、今回も涙しました。
また新しい目標を立てて頑張ろうという気持ちになりました。

今日のイベントに参加して、
ポジティブな気持ちになったり、新しい世界に興味を持ったり、
そんな生徒がひとりでもいたら、
参加まで導いてきたことは意味あることだろうと、
講評を読ませていただき、そう思い、自分を慰めました。
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Posted by mrgntknk at 04:13Comments(4) 音楽 

2016年08月06日

埼玉県高等学校軽音楽コンテスト決勝

バンド名の決め方で本気度がわかる、
僕はずっとそう思っています。
商品名なんてあり得ないし、
その発想力の乏しさを自ら恥じるべきだと。

世の中って不公平だなと思います。
努力が報われないことが多々あります。
人が人を選ぶとき、
人間ですから、ひとりひとり好みが違うし、
曖昧なジャッジだってあります。
コンテストとはそういうものだと踏まえた上で臨まないと、
あとから受ける精神的なダメージが大きかったりします。
その不確実さを避けるために、
圧倒的な評価を得るために練習を重ねるんですけどね。

そういった意味では、こいつらは運だけは持っていました。
昨年末の2年生大会では、
これまでずっと南部地区で出場していたうちの学校が、
バンド数調整のため西部地区でエントリーすることになり、
それが理由かはともかく、
決勝大会に進むことができ、ESPのホールで演奏しました。

今回の夏の大会は、本来の南部地区からのエントリーでしたが、
締め切り後、バンド数調整後、
地区の2バンドが出場辞退となり、
加えて地区予選当日になって、諸事情により更に競争相手が減り、
ひいき目に見ても「繰り上がり」のようなかたちで、
決勝大会に出場しました。

予選日から決勝までは約10日。
結果を残したいなら、決勝に向けて毎日自主練するでしょう。
部活動日以外は学校に来ませんでした。
部活動日も専門学校の試験があったりして、
結局前日の数時間しか合わせをしませんでした。
そうやって、決勝大会に臨んだわけです。

ひとつだけプラスなことを言うと・・・
あ、こいつらのバンドはG、B、D編成のインストでした。
たった一回の練習の中で、
それぞれが考えた秘策(?イメージ、ネタ、ソロ構成)を確認できたこと。
ドラムソロに関しては、この日リセットして作り直しました。
それが短時間で自分たちのものになっていったこと。

顧問からの指摘としては、リズムが甘かったので、
(僕は結構リズムをうるさく言います)
休符をしっかり作ること、音価を雑にしないことを注意しました。

プログラムの順番がジャズ系のバンドの次だったことを気にしていましたが、
同じインストでも、ジャズを引きずらずに持って行けるなという、
そんな音がその日の練習で出せていたので、少し安心しました。
でもまぁ所詮インストだよなあと。

審査員の方々の中でどういう評価・議論があったかわかりませんが、
グランプリ、準グランプリに続く「奨励賞」をいただきました。
評価を受けたということは、
何かしらそこに訴える力、飛び抜けたものがあったはずなので、
それを表現者として表に出せたことは、称賛すべきだし嬉しく思います。
ただ以上のような流れがあって、僕自身は100%の気持ちで喜べないので、
終わってから「調子に乗んなよ」と言い、
これまでで最高のパフォーマンスを褒めました。

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Posted by mrgntknk at 11:36Comments(4) 音楽 

2016年05月08日

Gueen Maniac Years II @TSUTAYA O-EAST

毎回ライブの際、ご来場の皆さんにアンケートを書いてもらい、
そこに登場した曲のリクエストにお応えするという今回の企画、
「Gueen Maniac Years II」が終了しました。

いつになく自分自身の反省点が多いライブでしたが、
評価できるポイントもそれなりにありました。
ということで、それは口外しませんが、
次にどんなGueenを見せられるか、
年内はメンバーそれぞれが絡み合う別プロジェクトのライブが幾つかあり、
その中で話し合いながら模索していきたいと思います。

5月7日 セットリスト

Flash (OP SE)
The Hero
Tear It Up
Dragon Attack

Mustapha
Bicycle Race
More Of That Jazz
Long Away
Millonaire Waltz

The Prophet's Song
Love Of My Life
Spread Your Wings

Bring Back That Leroy Brown

Tenement Funster
Made In Heaven
Put Out The Fire
The Invisible Man

Sail Away Sweet Sister
Las Palabras de Amor
Under Pressure

Princes Of The Universe
Hammer To Fall
It's Late

(encore)

Radio Ga Ga
Bohemian Rhapsody
We Will Rock You
We Are The Champions
God Save The Queen

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Posted by mrgntknk at 00:56Comments(0) 音楽 

2016年03月14日

本気

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卒業式でした。
部活で接する生徒諸君が印象に残った学年でした。
彼らの頑張りが部活動を活性化させたと感じています。

彼らが1年生のとき、
僕は前任校の顧問として1年生大会で彼らの演奏を聴きました。
そのときはいろんな学校の中の1バンドというだけで、
気になったプレイヤーにチェックを入れておいたくらいでした。
まさかその春から今の学校で働くことになるとは、
もちろんそのときは想像すらしていませんでした。

僕はこの学校で仕事するようになってもうすぐ2年ですが、
思い描いた姿と現実が全くリンクせず、たいした事は何もできていません。
部活についても同じで、結果を出せずにむしろ自分に苛立っています。

部活を指導したくて今の仕事を続けているけれど、
違うところである事に目をつぶっていられなくなりました。

それは着任してすぐの始業式。
校歌をテープで流してハイ終了って姿勢に衝撃を受けたのです。
そして、この学校に校歌を定着させようと、
自分の学校の校歌を歌えないってカッコ悪いぜって
(本当は先生方にも)感じてもらいたくて、
少しずつ布教活動を続けてきました。

全校集会で校歌斉唱のコーナーができて
(今でもメチャクチャ声は小さいですが)もうすぐ1年半になります。
ピアノ伴奏出来る生徒に関して、
全校生徒でポジティブな意志を見せてくれるのは2~3人しかいないけれど、
それでも宝探しで宝石を見つけたかのように、
彼らを大事に寝かせ膨らませ
美味しい頃合いを見計らって全校集会に投入しています。
2月初旬の音楽祭もそうでしたが、
やる気ある幾人かの生徒が共に意識し合いながら
良い雰囲気を作って来ていると感じます。それに救われています。

卒業式での校歌斉唱は
(本当に歌うと言う意味で)今年でおそらく2回目だと思います。
昨年は生徒がピアノ伴奏をしました。それは継承できました。
しかも今年は送られる卒業生の中から、
あの舞台で弾きたいと気持ちを話してくれた女子生徒がその役を担いました。

彼女は全くの初心者でした。譜面も読めませんでした。
将来は幼児教育の方面に進みたい、ピアノが必修だということで、
夏休みからピアノを練習しにちょくちょく音楽室へやってきました。
でも弾くというよりは鳴らしているという印象でした。
もし弾けるようになったら校歌の伴奏も挑戦してみたらと、
一応、譜面を渡しておいたわけです。

ここでひとつ。
現任校には校歌の伴奏譜など存在しません。
あるのは、学校要覧に載っている校歌のメロディー譜と、
着任最初の始業式で聞いた衝撃の音源、
数年前にお金かけて制作したらしいCDがあるのみ。
(これがとっても軍歌っぽいw)

まずはその軍歌色を排除、
ハーモニーのアレンジを加え、自分の手癖も交えつつ、
集会で弾くためのあくまで「仮」の伴奏譜を作りました。
そして、なんとなく音楽に長けている生徒に配っているうちに、
集会デビューをしていない生徒も含め、
今では昼休みになるとほとんど毎日誰かが
音楽室へピアノを触りに来るようになりました。
別に校歌を練習しているわけでもないのですが。

2月の音楽祭が一段落するのとほぼ同じ時期、
3年生は家庭研修という名のお休みに入りました。
免許を取りに行ったり、思いっきり遊んだりと、
就職前の一番楽しく自由な時期かも知れません。

上述の3年生女子生徒は、
家庭研修に入ると同時にほぼ毎日学校に登校し、
暗くなるまで音楽室で校歌伴奏の練習を始めました。
3学年の先生からは、初心者が本当に弾けるようになるんですかと
心配の声が多く聞かれました。
弾きたいんだから弾けるようになるんじゃないですか、大丈夫でしょう。
まだ全然形にもなっていない状態でしたが、
根拠のない自信のようなものはありました。ひたむきさかな。
これを在学中の部活で見せて欲しかった。。。

じつは彼女、1年生のときは軽音部だったのです。
僕が1年生大会で見たバンドのボーカルで、
そのときチェックを入れた気になったプレイヤーのひとりでした。
それが現任校で顧問をすることになって聞いてみたら、
いろいろあって辞めたと。
まぁスタートから計算が狂ったわけです。
一時復活のチャンスを与えたにもかかわらず結局続かず。
このまま音楽表現をせずに卒業していくのかと残念に思っていました。
でも今回、卒業式で伴奏するという事に関して、
人が変わったように練習に取り組んでいました。
軽音という舞台ではないけれど、
音楽表現をする場所に戻ってきたことは良かった。

そして今日の本番、とても良いプレイが出来ました。
3学年の先生方は皆さん驚かれ、褒めておられました。
先週末のリハーサルで思いっきりコケたことが、
かえって良かったかも知れません。
それともちろん一番は彼女自身の努力、勇気。

本気になることの大事さを最後の最後に彼女から学びました。
それは年齢に関係なく言えることですね。

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(卒業したので顔出しします)
  

Posted by mrgntknk at 20:55Comments(4) 音楽 

2016年02月09日

手をとりあって

3日連続の学校がらみ音楽活動3日目。
初日は吹奏楽、2日目は軽音、最終日は合唱でした。

埼玉県高等学校総合文化祭・音楽祭「南部地区」という催し物が
2月3,5,8日と開かれ、
その最終日に現任校1年生が初参加しました。

初参加という意味は大きくて、
年間行事に組み込まれていないものへ最初のアクションを起こす
(僕が心を決めるだけなんだけど)勇気が必要でした。
根回しは春の管理職との面談からはじめました。
教員が必ず書かなければならない
目標やら方策やらその結果やらを自己分析して
作成・管理職に提出する書類があって、
今年度はじめ「校外開催の音楽祭に授業の枠組みで参加する」
という目標を書きました。
自己分析するに、ただのイベント好きです。
忙しくても、空腹が続いても、睡眠時間が少なくなっても、
何かモノを作れる状態にあるとき、とても幸福な気持ちになります。昔からです。

参加条件にかなう形は、現任校では1年生クラス単位の参加しかありません。
夏休み前に1学年主任に概案をお話しし、仮予定を入れてもらい、
2学期中盤からクラスのセレクションに入りました。
ここで前向きなクラスがなければ廃案。昨年がそうでした。
今年は最もやんちゃなクラスが本気か冗談か
「参加したいっす」と言ってくれたので、
それを真に受けてエンジンをかけました。

曲選びは誰の意見も聞かず自分で決めました。
気持ちが入らない曲は指導できないので。
候補曲が2曲ほどあって、どちらも大好きでしたが、
歌い回し、ピアノアレンジが難解、ハーモニーがごまかせないという判断で却下。
あれこれ考えた末、自分は何者?と原点に戻り、そこで勝負しようと。
生徒からは「英語の歌ですかぁ~?」といつもの文句が返ってきました。
「日本語の部分もあるから」と言い訳。
「カタカナふるから」と論点をうやむやに。

しかし参考にする譜面が見当たりませんでした。
そこでピアノ伴奏譜は、
自分がいつも弾いているものをMIDIで録音して作りました。
合唱アレンジはバンド仲間にコーラス譜を送ってもらい、
それを基に平易なアレンジにしました。

男子生徒が多く、
授業でもなかなか声を出して歌うという雰囲気、環境にするのが難しく、
でもその集団に隠れて、
じつは歌うことが好き、歌うことに前向きな生徒は確実にいて、
その子たちの力も欲しいし、光を当ててあげたいと思ったので、
参加形態を「クラス+学年有志」としました。
2学期の実技試験の具合を参考に生徒を選び声をかけていきました。
そして有志参加の意思がある生徒には、参加表明書を提出してもらいました。
最終的に80名近くになりました。
指揮者、ピアノ伴奏者も立候補がありました。
事はうまく進むかに見えました。

なんやかんやで、エントリー締め切り後の
2学期末考査終了後からやっと練習を始められました。本番までひと月半。

まぁ、集まりが悪い。
毎回4~5人しか顔を出しません。
それでも来てくれた生徒と練習をしました。
その状況を見て、来なくなる生徒もいました。
冬休みは誰も来る気配がなかったので、無しにしました。
3学期になりました。本番まで1か月を切りました。
担任の先生を通じて、参加表明をした面々に再度意思確認をしました。
ボロボロと脱退者が出てきました。
言いたいことはありましたが、有志なので生徒の意思を尊重しました。
そんな最中、修学旅行の引率です。1週間まるまる何もできませんでした。
本番まで2週間。
沖縄の夜、3泊中、かなりの確率で夢に出てきました。

旅行から戻り、次の週から毎昼休みの練習を再開しました。
パラパラと参加生徒が増えてきました。
就労体験や代休が入り、なかなか練習時間の確保ができなくて大変でしたが、
音楽室に集まってくるその雰囲気は決して悪くなく、
お互い声を掛け合いながら人が増えてきました。

本番一週間前、音沙汰なく参加する意思が見られない者たちを呼んで理由を聞き、
そこから挽回をはじめた者、、お引き取り願った者、
最終的に、公式参加予定者数は58名になりました。
結局全員が集まることは一度もなかったのですが、
直前の3日間、わずか15分の昼休み練習に多くの生徒が集まってくれました。
今の学校では普段あまり見られない光景でした。

音楽祭当日は、引率顧問である僕の大失態からスタートしました。
舞台セッティング図4部コピーを用意、当日朝提出すべきところ、
前日、前々日にあったイベントの件と、
生徒へ配るメッセージカード&全体合唱楽譜は忘れてはならぬと
そこまではよかったのですが、
ほかの部分で身の回りがグチャグチャになっており、
音楽祭に関する自分のすべての書類を学校に置き忘れて来てしまいました。
受付で平謝り。
学校名・指揮者名・伴奏者名・ピアノ蓋開け具合のたった4行を
白いA4用紙にちっちゃな字で早書きし、コピーして提出しました。
そのわずか5分後、生徒と共にリハーサル室へ向かいました。

トップバッターでした。
集団の列前後には誘導係の女子生徒がついてくれました。
とくに元気な生徒たちは並びの関係で最後尾に集まっており、
最後尾についてくれた榮倉奈々似の生徒さんにちょっかい出さないよう
見張るのが僕の役目になっていました。

リハーサル室で10分ほど歌の確認をしました。
いろんな学校さんが来ていて、それぞれのスタイルで演奏する、
でもそれを真似する必要は全然ない、
君たちらしく、君たちのスタイルでパフォーマンスすれば、
必ずオーディエンスの魂(ソウル)に届くから、
と、どこかの映画に出てきたセリフを交えて話し、
ホール下手へ移動しました。

舞台そでで待機となった途端、
少しずつ気持ちが高ぶってきたのか、
自分の並ぶ列、出る順番等を気にし始める生徒が続出しました。
いろんなところから「先生!先生!」と呼ばれ、
「まわりを見て、舞台に出てからお互いで修正せい」と一蹴。
係の方の合図で生徒たちは舞台に出ていきました。

生徒たちだけでステージを作る、僕は本番の演奏に一切関与しない、
これは当初からの考えでした。

誤解してもらいたくないのですが、
僕はずっと、例えば合唱や吹奏楽で、
先生が指揮をすることに違和感を持っていまして。
生徒たちの演奏になぜ先生が加わるんだろうと。
高校時代、あまり真面目に練習に行かなかったけれど、
僕が在籍していた吹奏楽部の定期演奏会は、OBか現役先輩が指揮をしていました。
顧問の先生が振った記憶はなく、
それがデフォルトになっているからかも知れませんが。
軽音楽のバンドに先生が混じっていたらエントリーすらできません。
例えとしては大袈裟でしょうか。
成りたちが違うからだとは思いますが、どうもスッキリしないのです。

送り出した後、誘導係の2人の女子生徒さんたちと
ステージ裏を通って上手にまわりました。
その途中、うち1人が「いい曲ですね」
この曲知ってる?
知りません
クイーンというロックバンドの「手をとりあって」という曲なんだよ
途中に日本語の歌詞が出てくるからこれにしたんだよ
そんな会話をしました。

技術はないけれど、大きな声で、元気よく、そして楽しげに、
特に大サビの部分では「感情を爆発させていい」と言ったら、
移動の際、列の最後尾にまとまっていた元気な生徒たちは、
それこそ例の映画に出てくる合唱部のように、
本当に身振り手振りで、舞台最前列からさらに一歩前に出て表現しました。

とっても真面目な高校のみなさんからは、
「ふざけている」とコメントいただきました。
僕はしてやったりと思いました。そして、
もし今後この学校が音楽祭に続けて出られるようであれば、
この表現を継承して、
「あの学校のあのパフォーマンスを見たい」と思ってもらえるような
そんな伝統を作ったらいいんじゃないかと思いました。

先生、俺たちふざけてないっすよ、一生懸命歌ったんすよ
コメントを読んでマジな目で言ってくる奴らに親指を立てて返しました。

参加してくれた女子生徒はわずか3人でした。
それでもちゃんと声は響いていました。
楽しかったよ、と言ってくれました。

今回のような、コンクールでもない、順位も勝ち負けもない、
何の見返りもない事に対して、
参加しようという気持ちを見せてくれた生徒が思いのほかたくさんいたこと、
それに驚いたし、言い出しっぺとして嬉しかったです。

鑑賞態度は決して褒められたものではありませんでした。
でもほかのどの団体よりも長い時間、与えられたエリアを空にすることなく、
客席を暖めていたのはうちの学校でしたね。

最後に言い訳になってしまうのですが、
これらはすべて、僕の中にあるクラシック音楽に対するコンプレックス、
吹奏楽に対するコンプレックスから来ていると思っています。
植田薫先生の講習会に毎回参加したいと思う気持ちもそうです。
コンプレックスを克服しようというのではなく、
むしろそんな気は今更ぜんぜんなくて、
もうこれしかできないんです、という思いです。
それで誰かに何かしら響かせられたら、
まぁいいかと自分自身を慰めているのです。

お二方の講師の先生から講評用紙をいただきました。
学校に戻ってから封を切り中に書かれていることを読みました。
参加した生徒に対して書かれていることなのですが、
準備から本番までの自分の行動をすべてどこかで見ておられたような、
そんな内容に、読んでいて泣けてきました。

「ステージで歌うみなさんの姿、カッコよかったですよ。
 サビで声が高まるところ、こちらまでしっかりと届いてきました。
 思い切り歌うのは気持ちいいでしょう。
 今回少し遠慮してしまった人、次回はもっとはじけてみましょう。
 生徒だけでよくやりました。
 情感豊かな指揮、力強く安定したテンポのピアノ
 ともに大変よかったです。
 この曲は誰が選んだのですか?
 なつかしい曲が聴けて感激しました。私も大好きな曲です。
 初出場おめでとう!
 次回も絶対出て下さい!」

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Posted by mrgntknk at 22:23Comments(2) 音楽