2014年07月20日

軽音コンテスト予選が終わって

全国高等学校軽音楽コンテスト埼玉大会の予選ライブが行われました。
今年で4回目。僕自身は顧問として2回大会から引率しています。
埼玉県の軽音楽という部活動も、だいぶん活気付いてきました。
今大会から予選もライブ審査することになりました。
そしてオリジナル楽曲重視の傾向も強まり、
エントリーをオリジナル曲でした場合、
同じ学校からもうひとバンド参加が可能になりました。
とまあ、いろいろ変化が起こった今年度、
春から連盟の常任委員をさせてもらっています。

とここまでは、事実の羅列です。
以下、自分の中でモヤモヤした感情を言葉として残しておきたいので、
3つの項目にまとめて記します。




「それでも悔しい」

4月に今の勤務校に来て、軽音顧問になれて胸をなで下ろしたのも束の間、
練習環境の厳しさ、練習習慣の未熟さ、レベルの低さ、そして
前年新人演奏会で発見した輝く才能を持つ部員が退部していたという事実、
前途多難な年度初めでした。
4月、5月、6月の途中まで、
仕事がつまらなくて仕方ありませんでした。
部員からポジティブな空気が全く伝わってきませんでした。
毎年のように部活顧問が変わり、それは3年生の活動に確実に影響を及ぼし、
変化を受け入れない姿勢になっていました。
3年生たちは、なかなか心を開いてくれませんでした。

変化が見られたのはコンテストの応募用紙を提出する直前くらいからだったか。
(遅い!)
コンテストも「出ません」と尻込みするかと思っていたけれど、
エントリーすると言い出した部員からは、少しずつ変化が見られました。
なかなかダイレクトにコミュニケーションできなかった3年生は、
なんと、オリジナル曲を作りますと言い出す始末。
前任校でやった同じやりかたで、
彼らの歌詞・メロディから響き(コード)を引き出す形で、
放課後、イメージを具現化していくサポートをしていきました。

僕にしてみたら、今年度はマイナスからのスタートでした。
コンテストに2バンドもエントリー出来たこと、
春には想像もできませんでした。
地区予選上位7バンドから漏れた事実を受け入れる顔は、
春とは違っていました。
3年生は実は、3年生にして初めての学外演奏でした。
演奏後のインタビューでもひとりひとりしっかり答えていました。
1、2年生混合で組んだバンドは、
ひいき目に見てしまう部分はあっても、決勝に残るボーダーにいたと思います。
1年生が夏の大会に顔を出す学校はそういません。
次は狙えると思っています。
大きな進歩はありました。でもやっぱり悔しいです。




「自分のことのように嬉しい、でも」

前任校は他の地区で予選を戦いました。
僕が学校を離れたあと、当たり前ですがいろいろ変化もあり、
でも年に1度目標にしているコンテストには当然エントリーするわけです。
コンテストに先立って、尚美学園で高校生バンドの別イベントがあり、
そちらに出るバンドと、コンテストに出るバンドとを指導しに
前任校まで行ってきました。
更にもうひとバンドは今の勤務校まで足を運んでくれ、指導させてもらいました。

あるとき、
昨年春に都内の合同ライブに連れて行ったときの映像を見る機会がありました。
バンドメンバーを確認しました。
昨年春一番期待しつつも、空中分解してしまったそのバンドのDNAは、
今年のそれぞれのバンドに受け継がれていたんだということに気付きました。

前任校を離れる際、最後だし、書きかけのオリジナル曲を見ておいてやるよと、
そのときまだ未完成だった曲で今回のコンテストにエントリーし、
見事地区予選を突破したと顧問の先生から連絡をいただきました。
僕がいるあいだにそういった喜びを味わいたかった。
広島を離れた翌年から古巣にリーグ連覇されてしまう
浦和のミシャ監督と自分をダブらせてみたりしました。




「これも部活なんだろうなというやるせなさ」

現実、軽音を技術指導できる先生は、県に10人もいないと思います。
各学校諸事情あり、音楽にバンドに縁もゆかりもない先生が顧問になるケース、
これは他の部活含めよくあることだと思います。
だとしても、
「私、楽器の使い方も接続の仕方もわかりません」
「音楽のこと何も知りません」と
カミングアウトする顧問の先生の学校が予選突破したりすると、
正直、俺何やっているんだろという、やるせない気持ちになります。
悔しさ、多少の怒り、情けなさ、
その気持ちをどこに持っていったらいいかわからなくなります。
今回もそんな気持ちになりました。
学校の部活ってのは技術面だけ指導すればいいってもんじゃない。
そういったことも全部受け入れつつやっていかなければならないんでしょうね。  

Posted by mrgntknk at 21:59Comments(2)

2014年05月07日

歯医者

もう2年も定期検診を受けていないなと、
慣れ親しんだ歯医者に予約の電話をした。
すると「通信障害等の理由でおつなぎできません」
のような意味の自動応答が流れた。
改装でもしているんだろうかとHPにアクセスして驚いた。

先生はこの3月に、長い闘病の末、亡くなられたと載っていた。

歯医者だけは4歳頃からずっと通っていた。
何度も引っ越して、同じ場所で先生も替えたりしたから、
診てもらった先生は10人どころじゃないすまない。
そして40歳に近づいてやっと巡り会えたというか、
初めて自分からすすんで治療に行けるようになった先生だった。

患者を不安にさせない。
とにかく手際がいい。
プラス、治療費が良心的。

親知らずを全部抜いてもらったけれど、
抜いた後が大変ですよと言われた下の歯のときも、あっさりと、
そしてその後の腫れも全くなく。
僕の信頼はそのとき揺るぎないものになった。

体格が縦横にとても充実していた先生だったので、
もしかしたら・・・・と思うけれど。
震災の年、最後に治療してもらった歯が調子悪くなってきたので、
またほかの歯医者をさがします。

先生、お疲れさまでした。  

Posted by mrgntknk at 21:13Comments(0) 雑記 

2014年04月01日

総括

娘が家族に加わったけれど、東日本大震災が起き、柳ジョージさんが亡くなった
私にとって劇的で、精神的にも金銭的にも辛かった2011年、秋のある日、
FREEN神戸ライブに向けてのリハ最中に、1本の電話が入りました。
今の自分の立ち位置を決める最初の電話でした。

年明け3学期から勤務することになった高校は、
教頭から「逃げる生徒を追いかけられるように、動きやすい格好で来てください」
と言われるようなところでした。
「教員」なんて仕事、まったくわかりません。
「公務員」なんなんだろ、その立場。
でも目の前にそれしかなかったので、やるしかありませんでした。
慣れないうちは、
持っていったお弁当を温めて開けた瞬間の匂いで食欲がなくなりました。
今思い返しても、最初の3ヶ月、
その3学期のあいだ、何をしていたんだかまったく思い出せません。
唯一覚えているのは、
音楽部が卒業発表と称して、演奏するかと思いきや、
ダンスを、それも練習不足の中途半端な発表を見せられて、
ガッカリして職員室に戻ったこと。
それが部活動の見直しに火をつけたきっかけだったかも知れません。

私の通っていた高校には軽音部はありませんでした。
うるさい、何をやっているんだかわからない遊びの集団、
そんな見方をされていたんだろうと思います。
ひとつ上の女の先輩が軽音部結成に向けて動いてくれていましたが、
ある日の教室片付けが不十分だったということで、
先生に反対され流れてしまいました。
放送室を地下活動の拠点としたのは、その一件があったからだったと思います。
私自身のクリエイティブなアイデアは、いつも放送室から生まれていました。

部活のテコ入れをはじめた2年前の新学期、
3人の3年生は人間的にも演奏も(部活内では)すでに絶対的な存在でした。
ずっと3人でブレずに活動を続けていました。
結局卒業してからも、彼らの固い絆は続いており、
学校にも3人揃ってよく顔を出してくれました。
ハッキリ言っておきたい。
メンバーがコロコロと変わるようなバンドは、良い音楽なんて出来やしないと。
高校の部活なんてたかが2年半。
2年半程度の時間を同じ仲間と目標定めてやっていけないようでは、
バンドだけじゃなく、普段の生活だって、人間関係だって、
決して良好に保てやしない。
よく「付き合って1ヶ月」と喜んでいる不可思議なカップルを見かけますが、
1ヶ月で祝うのは新生児だけでよろしい。
人間関係を長く保っていける自信が無いから、
記念日という、一見おめでたい出来事が訪れたかのように自分に暗示をかけ、
自分を安心させているに過ぎない。
そんな価値観じゃバンドでの地道な活動は無理だ。
そんな奴らに限ってバンドメンバーに甘い。
遅刻しても怒らない、待ってたよと受け入れる、
ココまで来るともう末期症状。バンド崩壊前夜。
何か言うと自分が嫌われると思うらしい。
無視される、孤独になるのが怖いのだそうだ。
誰かに対して怒ったり、注意したりする行為、そんなの誰だってしたくない。
でも大切な仲間が道を踏み外そうとしていたら、
声を大にして引きずり戻すことって絶対必要なんじゃないかい?
それをありがたいと思える心も必要だろう?
お互いにそういう関係が築けたら、その人とはずっと長く付き合っていける。

各学年それぞれの特徴がありました。
4期の部員を見させてもらったけれど、
人数が多い学年ほど危なっかしいのは予定調和。
隣の人の顔色を伺いながら、腫れ物を触るように事を進めていく様を見て、
彼らなりに気を遣いながら、
小社会の中で振る舞っているんだなと思ったりしました。
しかしバンドという感情表現の場では、時にそれが弊害になることがあります。
それを顧問としてコントロールできたかと言うと、疑問が残ります。

部活に限らず、学校生活の中で、
頻繁に話しかけてきてくれる生徒がいれば、
先生との距離間を絶対に崩さない生徒もそれ以上にいます。
高校時代の私は後者でした。
そんな昔の自分のような生徒とどれくらい接したら良いのか悩みました。
これからの課題です。

コンテスト出場という機会には、各パート選抜で特別編成バンドを組みました。
この選出方法は、事前に部員の意見を聞いて決めました。
運動部ではレギュラーがいて補欠がいます。でもバンドに補欠はいません。
ただ学校代表となると話は別。部活で最高の力を見せなくてはなりません。
人を選ぶということはとても辛い作業です。
明暗がはっきり見えてしまうからです。
と、ここまでは建前です。

その実際は、層が薄く、選ぶに当たってほとんど悩むことはありませんでした。
身内だけのマスターベーション的な練習じゃ、所詮そこまでなのです。
外の高校軽音楽のレベルを知って欲しい。
そこで自分のレベルを知って欲しい。
そんな気持ちから、他校、他県まで合同ライブに参加できる場所を探しました。
全国レベルのライブに参加させてもらえる機会もいただきました。
参加するのは本人たちの意志です。移動距離もあるので強制はできません。
出演した部員たちは、きっと何かを得たはずです。
そして一度も参加しなかった部員がいたことも事実です。

オリジナル楽曲への取り組みは必然の流れです。
今後の軽音部の世界では、自作曲を持っていないと
もう相手にしてもらえない空気になってきているということです。
最初の曲を作るときこそコード付けのサポートなどをしましたが、
次第に自分たちで考えながら出来るようになりました。
正直なところ、そこまでの成長は予想外でした。
高校生のライブはせいぜい20分前後でしょう。
その半分以上をオリジナル曲でセットリスト組めたら万々歳だと思います。

部活動、顧問としての舵取りには、間違いなく、
軽音部が無かった自分の高校時代の反動があったと思います。
発想の基本はいつも
「こんなことやったら面白いだろう」
「こんなことやったら部員以外の生徒が羨ましく思うんじゃないか」
というものでした。そして、
無茶な思いつきがあれこれ実現できたのは、
相方の顧問の先生の存在があったからだと思っています。
最初に学校へ出向いたとき、
クラリネットを吹いておられたという話を聞いたことにはじまり、
その後も多岐にわたる音楽の話をさせてもらいました。
管理職との交渉や根回し等、面倒な仕事ばかりに奔走していただきました。
部活動だけに限らず、様々な場面で私の心の支えになっていました。
榊原先生への感謝の気持ちは言葉では表せません。

前勤務校では、毎年3月終わりには、こぼれんばかりに桜が咲きます。
でも今年は開花が遅く、見ることが出来ませんでした。
私自身、桜には寂しさとか、はかなさみたいなイメージがあって、
あまりポジティブな気持ちになりません。
今年は遅咲きで良かったと思います。

今日4月1日で、すべてがリセットされたようで、
経験は武器になったかのようで、そうでもないようで、
でもとてもポジティブな年度初めとなりました。

また1年、新たな場所で頑張ります。

  

Posted by mrgntknk at 19:05Comments(2) 雑記 

2014年02月27日

3歳

前々日にケーキを食べ、前日にジブリ美術館に出かけ、
すっかり終わった気になっていましたが、25日が娘の3歳の誕生日でした。

生まれたその日から、
ひとりの人格を持った人間であることを尊重して向き合ってきたつもりです。
まだ小さいから、大人の力で従わせることは可能です。
でもそれはこちらの力量不足なのだと。
家・学校での自分の姿勢や、街なかでの人々の行動からそう感じ、
その都度反省したり、考えさせられてきました。
そして、子どもは親を選べないのだと言い聞かせてきました。

変顔したり、よくポーズ取ったりと興味は尽きませんが、
「〜する!」「〜しない!」の自己主張がよりハッキリしてきたなかで、
ある日「恥ずかしいっ」という言葉を口にしたのが大きな衝撃でした。

根拠のない感想ですが、
1クール終わり、次のクールに入った気がします。

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(HDR-MV1で撮った映像をMacでスクリーンショット)

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Posted by mrgntknk at 00:07Comments(0) 雑記 

2014年01月26日

大井川鐵道

(更新がずいぶん遅くなりましたが)
三賀日が過ぎ、空気が日常に戻りつつあるそんな日、
前日に思い立ち、静岡の大井川鐵道に乗りに行きました。

車で新金谷駅まで向かう途中、鮎沢PAで「アメリカンドッ君」を食らいました。
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当初の予定は、東名で進んでいき、
富士川SA(下り)で富士の絶景を拝んでから新東名に入る予定でしたが
天気も不安定だったので、そのまま新東名で目的地まで。

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目的はSLでした。
が、旧近鉄特急が姿を現した時点でテンションMAXになってしまいました。

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途中カメラを向ける人たちがたくさんいました。

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「〜怒り新党」の
『日本人が知っておくべき 新3大 素人にはオススメできない吊橋』第2位
「恋金橋」に遭遇しました。

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千頭駅に到着。この先のトロッコ列車は時間の都合上断念しました。
季節が変わり、SLの運行本数が増えてから再チャレンジしてみようと思います。

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帰りは先ほどの近鉄特急に乗って戻ってきました。
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戻ってきた新金谷駅で見たものは、
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旧京阪特急テレビカー! この車輌に出会えるとは!
2月にはここ大井川鐵道でも引退をしてしまうようです。

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改札横にあるカフェでデコってもらいました。
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そんなゆったりした時間の流れの中で過ごしていたら、あっという間に夕方に。
奥浜名湖の宿へ向かいました。
東名合流地点で道を間違い、愛知県まで行って戻ってきたのはご愛嬌・・・


翌日は浜名湖畔の浜名湖ガーデンパークで凧あげをしました。
平日だし風が強いし寒いし人もほとんどいないし、凧あげ放題でした。
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浜松駅周辺は何度か行ったことがありましたが、
少し離れたところにこれだけ広い場所があって、しかも湖もすぐ、
羨ましい施設・環境です。

せっかく来たんだからと、僕の大好物の生産工場へ寄ってみました。
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見学は一瞬にして終わりましたが、お土産うなぎパイをもらいました。
そして工場内のレストランでスイーツをいただきました。
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ギャン泣きした後で目が腫れております。
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結局帰りに富士川SA(上り)で富士山を見ましたが、見るなら絶対下りです。


そしてこの翌日から、家族全員で風邪をひき、一週間以上くたばるのでした。

  

Posted by mrgntknk at 21:23Comments(0) 雑記