2014年04月01日

総括

娘が家族に加わったけれど、東日本大震災が起き、柳ジョージさんが亡くなった
私にとって劇的で、精神的にも金銭的にも辛かった2011年、秋のある日、
FREEN神戸ライブに向けてのリハ最中に、1本の電話が入りました。
今の自分の立ち位置を決める最初の電話でした。

年明け3学期から勤務することになった高校は、
教頭から「逃げる生徒を追いかけられるように、動きやすい格好で来てください」
と言われるようなところでした。
「教員」なんて仕事、まったくわかりません。
「公務員」なんなんだろ、その立場。
でも目の前にそれしかなかったので、やるしかありませんでした。
慣れないうちは、
持っていったお弁当を温めて開けた瞬間の匂いで食欲がなくなりました。
今思い返しても、最初の3ヶ月、
その3学期のあいだ、何をしていたんだかまったく思い出せません。
唯一覚えているのは、
音楽部が卒業発表と称して、演奏するかと思いきや、
ダンスを、それも練習不足の中途半端な発表を見せられて、
ガッカリして職員室に戻ったこと。
それが部活動の見直しに火をつけたきっかけだったかも知れません。

私の通っていた高校には軽音部はありませんでした。
うるさい、何をやっているんだかわからない遊びの集団、
そんな見方をされていたんだろうと思います。
ひとつ上の女の先輩が軽音部結成に向けて動いてくれていましたが、
ある日の教室片付けが不十分だったということで、
先生に反対され流れてしまいました。
放送室を地下活動の拠点としたのは、その一件があったからだったと思います。
私自身のクリエイティブなアイデアは、いつも放送室から生まれていました。

部活のテコ入れをはじめた2年前の新学期、
3人の3年生は人間的にも演奏も(部活内では)すでに絶対的な存在でした。
ずっと3人でブレずに活動を続けていました。
結局卒業してからも、彼らの固い絆は続いており、
学校にも3人揃ってよく顔を出してくれました。
ハッキリ言っておきたい。
メンバーがコロコロと変わるようなバンドは、良い音楽なんて出来やしないと。
高校の部活なんてたかが2年半。
2年半程度の時間を同じ仲間と目標定めてやっていけないようでは、
バンドだけじゃなく、普段の生活だって、人間関係だって、
決して良好に保てやしない。
よく「付き合って1ヶ月」と喜んでいる不可思議なカップルを見かけますが、
1ヶ月で祝うのは新生児だけでよろしい。
人間関係を長く保っていける自信が無いから、
記念日という、一見おめでたい出来事が訪れたかのように自分に暗示をかけ、
自分を安心させているに過ぎない。
そんな価値観じゃバンドでの地道な活動は無理だ。
そんな奴らに限ってバンドメンバーに甘い。
遅刻しても怒らない、待ってたよと受け入れる、
ココまで来るともう末期症状。バンド崩壊前夜。
何か言うと自分が嫌われると思うらしい。
無視される、孤独になるのが怖いのだそうだ。
誰かに対して怒ったり、注意したりする行為、そんなの誰だってしたくない。
でも大切な仲間が道を踏み外そうとしていたら、
声を大にして引きずり戻すことって絶対必要なんじゃないかい?
それをありがたいと思える心も必要だろう?
お互いにそういう関係が築けたら、その人とはずっと長く付き合っていける。

各学年それぞれの特徴がありました。
4期の部員を見させてもらったけれど、
人数が多い学年ほど危なっかしいのは予定調和。
隣の人の顔色を伺いながら、腫れ物を触るように事を進めていく様を見て、
彼らなりに気を遣いながら、
小社会の中で振る舞っているんだなと思ったりしました。
しかしバンドという感情表現の場では、時にそれが弊害になることがあります。
それを顧問としてコントロールできたかと言うと、疑問が残ります。

部活に限らず、学校生活の中で、
頻繁に話しかけてきてくれる生徒がいれば、
先生との距離間を絶対に崩さない生徒もそれ以上にいます。
高校時代の私は後者でした。
そんな昔の自分のような生徒とどれくらい接したら良いのか悩みました。
これからの課題です。

コンテスト出場という機会には、各パート選抜で特別編成バンドを組みました。
この選出方法は、事前に部員の意見を聞いて決めました。
運動部ではレギュラーがいて補欠がいます。でもバンドに補欠はいません。
ただ学校代表となると話は別。部活で最高の力を見せなくてはなりません。
人を選ぶということはとても辛い作業です。
明暗がはっきり見えてしまうからです。
と、ここまでは建前です。

その実際は、層が薄く、選ぶに当たってほとんど悩むことはありませんでした。
身内だけのマスターベーション的な練習じゃ、所詮そこまでなのです。
外の高校軽音楽のレベルを知って欲しい。
そこで自分のレベルを知って欲しい。
そんな気持ちから、他校、他県まで合同ライブに参加できる場所を探しました。
全国レベルのライブに参加させてもらえる機会もいただきました。
参加するのは本人たちの意志です。移動距離もあるので強制はできません。
出演した部員たちは、きっと何かを得たはずです。
そして一度も参加しなかった部員がいたことも事実です。

オリジナル楽曲への取り組みは必然の流れです。
今後の軽音部の世界では、自作曲を持っていないと
もう相手にしてもらえない空気になってきているということです。
最初の曲を作るときこそコード付けのサポートなどをしましたが、
次第に自分たちで考えながら出来るようになりました。
正直なところ、そこまでの成長は予想外でした。
高校生のライブはせいぜい20分前後でしょう。
その半分以上をオリジナル曲でセットリスト組めたら万々歳だと思います。

部活動、顧問としての舵取りには、間違いなく、
軽音部が無かった自分の高校時代の反動があったと思います。
発想の基本はいつも
「こんなことやったら面白いだろう」
「こんなことやったら部員以外の生徒が羨ましく思うんじゃないか」
というものでした。そして、
無茶な思いつきがあれこれ実現できたのは、
相方の顧問の先生の存在があったからだと思っています。
最初に学校へ出向いたとき、
クラリネットを吹いておられたという話を聞いたことにはじまり、
その後も多岐にわたる音楽の話をさせてもらいました。
管理職との交渉や根回し等、面倒な仕事ばかりに奔走していただきました。
部活動だけに限らず、様々な場面で私の心の支えになっていました。
榊原先生への感謝の気持ちは言葉では表せません。

前勤務校では、毎年3月終わりには、こぼれんばかりに桜が咲きます。
でも今年は開花が遅く、見ることが出来ませんでした。
私自身、桜には寂しさとか、はかなさみたいなイメージがあって、
あまりポジティブな気持ちになりません。
今年は遅咲きで良かったと思います。

今日4月1日で、すべてがリセットされたようで、
経験は武器になったかのようで、そうでもないようで、
でもとてもポジティブな年度初めとなりました。

また1年、新たな場所で頑張ります。



Posted by mrgntknk at 19:05│Comments(2) 雑記 
この記事へのコメント
リトルレンジャー豆知識で検索したら、ここにたどり着きました。
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95 竹ポンプ
96 指風呂
98 花ずもう
99 「私も持ってません」

私は93、99だけありません。
Posted by リトルレンジャー豆知識 at 2014年05月22日 07:57
93 ロクムシ

持っていないものも、友人のカードで見た記憶があるんですが・・・
コレクターいないんですね。かなりマイナーだったのか。。。
Posted by も at 2014年05月25日 09:28

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