6〜7年前の出来事から書き出さないと、上手に説明できません。

ESP学園の講師時代、ある女性シンガーのサポートのお誘いがありまして。
それも元々鍵盤を担当していた人の代わりってことで、割と突然に。

もらったライブ資料を見ると、これまで演奏したことない曲が並んでいました。
それがミュージカルの曲たちだと気づき始めたのは、
何回かリハに入った後でした。

その中に「Wicked」というミュージカルの
「Popular」と「Defying Gravity」という曲が入っていました。
まだ本当になんとなくだったけれど、
「Defying Gravityって、なんかカッコいい」って感じていました。
ただ演奏がとっても難しくて、彼女の要求する雰囲気がなかなか出せなくて、
楽曲を心から楽しんで演奏するなんてとてもできなくて、
モヤモヤしながらリハから帰る日もありました。

あるリハの日、彼女に
「Wickedってサントラ出てるの?」と聞いたら、
「ブロードウェイのオリジナル盤と劇団四季盤があります。
 でもね、圧倒的にオリジナル盤のほうが良いの」
と教えてくれました。

それからしばらくして、オリジナル盤サントラの音源を手に入れるわけですが…
全然ピンと来ませんでした。

そのライブのステージ上で、彼女は突然、来週アメリカに留学すると発表。
寝耳に水の我々バンドメンバー… なんやそれ。

数年が経ち、
そんなライブサポートをやったなぁなんてことも
記憶から消えそうになっていた頃、
ちょうどYouTubeで
Queen & Adam Lambertのライブ映像を探していた時でした。

この映像を見てしまったのですよ。



このメロディーが、数年前の記憶を呼び覚ましました。
あの曲やん!って。
その日から、
この曲をいつか何かの機会に音にしてみたいと思うようになりました。

2016年2月8日。高等学校音楽祭に現任校が“初出場”。
候補曲が3曲ほどあって、
「Defying Gravity」も中のひとつに上げていたのですが、
別の曲(Queen「手を取り合って」)でエントリーしました。

新年度になりました。
「音楽祭出場を継続させること」
「その課題曲に早い時期から取り組むこと」
が、今年度の目標のひとつでした。

いつの頃からか、
見栄張ってあれこれやるのはやめようと、
自分が得意、少なくとも何の障害もなく力を出せる
そのフィールドで全力を出そうと、
そう考えるようになりました。

僕はPopsやRockばかりを聴いて育ってきました。
中高生はそれが普通だと思ってましたが、
最近じつは僕の方がマイノリティーなんじゃないかと感じています。
もしくは彼らは僕のような音楽の聴き方をしていないんじゃないかと。

Popsを題材にして授業で扱って、
圧倒的に足りないと感じるのは「リズム感」。
21世紀に生まれた今の子たちが、
絶対に僕たちよりもたくさんのビート音楽に囲まれているはずなのに、
Popsのリズムの取り方がわかっていない。

素晴らしい響きとアンサンブルを持った実力校の吹奏楽部が、
客に媚びてPopsを演奏した瞬間、
リズムが崩壊し、幼稚園のお遊戯みたいな演出になる。
聴いていられないです。
どうして得意分野で最後まで攻めないんだろうって思います。
更に言うならば、それで飯を食ってきた経験から言わしてもらうなら、
「Popsをナメんな」

本当に自分の気持ちを込められる曲、
絶対ほかの学校に負けないと自分で思える曲を選んで音楽祭に参加しよう、
自分の趣味を押しつけるのではなく、
取り組んだ生徒もカッコイイと思える曲、
なんだか知らないけれど音楽室を出る時に口ずさんでしまう曲。

自分の中では「Defying Gravity」しかありませんでした。

以前聴いたけれどイマイチだった音源、
オリジナル盤「Wicked」サウンドトラックと
音楽祭に出るなら日本語の歌詞でしょうと言うことで、
劇団四季盤も購入しました。

一冊だけ出ている「Wicked」のピアノ&ボーカルスコアを参考に、
劇団四季盤をベースに、
台詞やテンポチェンジの難しい部分をカットして短くし、
Kerry Ellis & Brian Mayバージョンの
たまらなくカッコいい部分を楽曲の盛り上げる部分に挿入、
我々独自の「Defying Gravity」を作りました。

この作業をしながら、日本語盤サントラの他の曲も聴くようになり、
次第にこのミュージカル作品自体に心を奪われていきました。
サントラを通して何度も聴いていると、ストーリーがだんだん見えてきて、
それによって「Defying Gravity」をより深く理解できるように
…なってきた気がしました。

でも、作品の中での楽曲の意味をきちんと知りたくて、
夏休み終盤の日曜日、
東京公演はもう終わってしまっていたので、
日帰りで札幌まで劇団四季の公演を見に行きました。
数ヶ月間、その余韻が消えませんでした。

授業では、元になった「オズの魔法使い」鑑賞から始め、
自分では、この歳まで読んだことがなかった物語も買って読みました。

音楽祭での表現の形はバンドにしようと決めました。
この楽曲を自分なりに表現するためにはその形しかないと。

埼玉県南部地区は、
オーソドックスで保守的なスタイルが多い気がしていました。
異物を混入したいとは数年前から考えていたことですが、
それには勇気が要りました。

軽音の仕事に誇りを持っているけれど、
世間の軽音(というかバンド)に対する目は未だに厳しく、
南部地区がそれを受け入れてくれる土壌なのかがわかりませんでした。

そもそも軽音部は文化部連盟に入っていないので、
音楽祭には軽音部としては参加できません。
ならば…
教科書にバンドのページもあるし、
授業で取り組んでいるその延長なら「言い訳」になるのではないか。
今年は軽音部3年生が音楽選択者に多くいて、
その中には夏の県大会で奨励賞を受賞した部員もいました。
今年じゃないと出来ない、そう感じたので、
家庭研修中という時期だけど力を貸して欲しいと、
3年生にお願いしました。
今回は彼らがいなかったら成立しませんでした。

マイクも使わず、バンドに対抗できる声が出せるのか。
普段の授業で声を出すことすらためらう生徒たちで
本当にそんなことが可能なのか。
これは本番当日まで実際に悪夢にうなされたくらいの懸案事項でした。

文化祭のクラスの様子などを巡回のふりして探りを入れ、
1年生から2クラスを選んで参加を要請しました。
昨年度のような「歌うの大好き」というクラスは無く、
選んだ彼らを信じるしかなく、凶と出ればそれは僕のミスということです。
このミュージカル・楽曲は魔女が歌うので、絶対に女子の声は必要でした。
バンドの音圧には数で対抗するしかない、
声が小さい生徒たちをどうしたら気持ちを解放させて歌わせられるか、
物理的なこと、指導目的、楽曲のレベル、いろんな難題がありました。

本番。僕はピアノ兼時々指揮をしましたが、
アクセルを踏んでも踏んでも、最後まで加速しなかったという感覚でした。
不完全燃焼感MAXで音楽祭1日を過ごし、
他校からのコメントシートと講師の先生からの講評をいただき
学校へ戻りました。

ひとりでコメントシートに目を通しました。
なぜか上から目線の手厳しいコメントが幾つかありましたが、
驚いたのは、
バンド+合唱が珍しかったのか、好意的に受け入れられたことでした。
これは全く想定外でした。
音量バランスは最後まで気にして、結局ダメだったんだけれど、
自分の学校の課題、周りがやったことのないスタイルにチャレンジしたこと、
それは無駄ではなかったと思えたので、少し救われました。

この日の講師は、
僕が今の学校で授業をするに当たって参考にさせていただいた
男子合唱を成功させるための指導DVDを出されているH先生、
以前からFacebookでも繋がっていて
先生の前で演奏するのはじつは気恥ずかしかったK先生のお二方でした。
先生方のコメントに、今回も涙しました。
また新しい目標を立てて頑張ろうという気持ちになりました。

今日のイベントに参加して、
ポジティブな気持ちになったり、新しい世界に興味を持ったり、
そんな生徒がひとりでもいたら、
参加まで導いてきたことは意味あることだろうと、
講評を読ませていただき、そう思い、自分を慰めました。
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